10月の「今日の幕末」 幕末日誌文久2 開国-開城 HP内検索 HPトップ
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【京】文久2年閏8月27日(1862年10月20日)、朝廷、長州藩主毛利敬親に、破約攘夷の建白を嘉納し、幕府が攘夷を決定するよう周旋を命じる沙汰を下しました。 長州藩は14日に攘夷の朝議確定を迫る建白書を提出していました(こちら)が、これについて、<叡慮と符号し、深く悦んでおられる>と嘉納し、さらに<丹誠を尽して周旋し、公武を始め万人が一和一致して神州のために精力を尽くし、幕府に早々に破約攘夷を決定させるように>(意訳・ヒロ)と命ずる内容でした。 公武合体派の島津久光が帰国のため離京した4日後のことでした。 関連■テーマ別文久2「長州藩国事周旋」 |
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